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まさに今甦る熱狂の日々、在りし日のサタデー・ナイト・フィーバー!
ジュリアナ東京が、麻布十番マハラジャが、芝浦ゴールドが、日比谷ラジオシティが、
その熱き血潮を六本木ヴェルファーレ、飯田橋ツインスター、銀座M−カルロに継ぐ……。
安室奈美恵がロリータの「TRY ME」をカバーし大ブレイクした年――まさに日本の音楽界におけるベルエポックとも言える輝かしい80'sを過ごした僕らにとって――すなわち95年は非常に思い出深い年となった。
WinkやDEAD OR LIVEの時代から少しずつその姿形をあらわにしながら燻り続けていた巷のユーロビート願望は、そのとき一気にスパークしたのであった(この時期を総称して、俗に「第2次ユーロビートブーム」と呼ばれている)。イタリアを筆頭にユーロビート先進国からの音楽が日本の音楽市場を席巻し、かつてないディスコブームが復活した。タイムレコードやA
BEAT C、DELTAなどに代表される海外の名門レーベルから紹介されるユーロビート音楽を日本人向けに編集し直し、多くの人々からの支持を得ることに成功することによって台頭してきたレーベルがあのavexだ。そのavexが派手な黒服系を着こなした素人モデルを起用し、TVCFなどでその代表ラインであった
「SUPER EURO BEAT」シリーズを発表するやいなや、その火種はおよそとどまるところを知らずさらに大きなムーブメントとなり、かの有名なavex公認のパラパラ入門ビデオ「パラパラ教典」が発表された。その出演ダンサーを募集したオーディションには、全国津々浦々から集まったディスコクィーンたちが、数百曲の得意の持ち曲(振付け)を武器にしのぎを削り合った。やがて後にそれがマスコミ関係をも突き動かし、新人タレントが次々とユーロビートのヒット曲をカバーしてデビューしたり、ニュースでの特集やTV番組化、代表的なもので言えば、木村拓哉扮するバッキー木村がパラパラを披露したり、過去のヒット曲や、ディズニー、アニメ音楽のユーロビートバージョンが発売されたりなどして新たなファン層を獲得し、第3次ユーロビートブームなるものも興った。
かつて道場破りよろしく、夜な夜な麻布や新宿、上野のディスコを渡り歩き、「君はどこパラ?」「俺マハパラ!」なる会話を日常茶飯事としていた、ある意味での団塊世代の人々の中には、今も青春時代の栄華を懐かしむように回想しながら、そのエネルギーの発散場所に首都高や峠を選ぶ者も少なくない。そのもう一つのブームは「よろしくメカドック」の流れを組んだ走り屋ストーリー、「頭文字(イニシャル)D」や「湾岸MID
NIGHT」などの漫画(アニメ)に触発された、現代のジェームス・ディーンを彷彿とさせる命知らずの若者たちが、毎週土曜日の深夜ともなると大音量でユーロビートを流しながら、触媒の関係でマフラーから火が噴き出るようなリミッターカットされたフル装備マル改モンスター車を、爆音を轟かせながら埠頭や高速パーキングなどの然るべき場所に集結させて、しばしばその自慢のマシンを同じ仲間たちと見せ合ったりすることで証明されている。
先の「パラパラ教典」と平行して走り屋たちの教典があったことも忘れてはならない。首都高環状線(C1)を猛スピードで疾走し、1周5分を切るスポーツカーの前後バンパー部に小型カメラを取り付け、その恐るべき現実を活写した禁断のビデオは、警察の目を逃れることが出来ずついには絶版へと追い込まれ、文字通り幻となって今や伝説のビデオとして語り継がれている。一車線の中でライン取りをしながら4輪ドリフトをかまして次々とライバル車を追い越し、悲痛なタイヤの鳴き音と硝煙のように立ち込める異様な黒い煙が、不思議にもきらびやかな都会の夜景と見事にシンクロしながらダブルクラッチやヒール・トゥなどのあらゆる走行テクニックを網羅した走り屋御用達のビデオは、一部のマニアの間で高額な料金で取引されているという。そうした走り屋のイメージが、疾走感のあるユーロビートの曲調とマッチするのか、両者が互いに歩み寄って発売されたタイアップCDさえある。
今や単なるダンスミュージックやBGMの枠を超えて一つの新しい音楽のカテゴリーとして確立されたユーロビート音楽は、かつての様式美を色褪せることなく残しつつ病める少女があげる金切り声のようにも聞こえる独特の悲哀と激しさをもって、朝靄のように揺らめく不鮮明な記憶の映像の断片を伴いながら今もなお我々の眼前に迫ってやまない……。
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