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■作文 No.001

卒業論文 「澁澤龍彦『高丘親王航海記』研究」
1998.01.14

§目次

 
 芸術家は自分の作品の本当の意味を意識してはいないのであり、作品を解釈しつつ、観客はつねに、その追補的な創造に寄与しなければならない。
(マルセル・デュシャン)

 文学の目的とは、人生の目的と同じく不定である。
(ポール・ヴァレリー)

 撮影すべきことを発見するのは撮影しながらである。
(ジャン・リュック・ゴダール)

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○ 緒言

第一節  作品の解説

○ 作品のあらまし
○ 幻想のコレクション

第二節  作品の鑑賞

○ デペイズマンの技法について
○ アレゴリー、アナクロニズム、ノスタルジーについて
○ 二元論的支配、小説の明晰性の確立、およびクリシェの文体について
○ 非在、あるいは未到達という「極楽浄土」を目指すユートピア小説、
ならびに神聖幾何学的建築性の構築について

○ 結語

○ 参考文献

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§緒言

 
 私の耳は貝のから
     海の響きをなつかしむ
(ジャン・コクトー/組詩「カンヌ」)

 自分の一生の終わりを、初めと結びつけることのできる人は最も幸福である。
(ゲーテ)

 八月五日は澁澤龍彦の命日である。一九九六年のその日はちょうど十回忌にあたり、没後に氏を知った私でさえ、何か特別なインスピレーションを受け、お墓参りにうかがったものである。その翌年にあたる、本論文で氏を採りあげることが決まった昨年の夏も、挨拶がてら氏の眠る鎌倉の浄智寺まで足を運んだ。有名な沙羅双樹の木の間を抜け、ひっそりと静まりかえる人気のない墓地の階段を上がってゆくと、シャイな氏の人格を反映するかのごとく、氏の眠る墓は奥まった目立たない場所にちょこなんと居座っていた。しかしそれでいて同時に、真夏の午後の強い日差しを受けながらそびえ立つ墓石には、あたかも氏の全盛期を象徴するかのごとく、何のやましさも持たない、ある種ギリシャの彫像的な堂々たる気品があった。私は用意していた仏花と線香、生前氏の愛した貝殻のセット、それからあえて氏に宛てた、卒論で採りあげることについての報告を含む挨拶の手紙とを墓前にたむけ、そこを去った。しばらくすると夫人の龍子さんから丁寧な返事の手紙が届き、私は感慨無量にひたっていたものだが、この得も言われぬ歓喜の心境は、生前の氏が熱狂したジャン・コクトーから返事をもらって喜んだときのそれと似たものであろうと考えると、妙な連帯感に私はさらに胸踊る気分であった。それはともかくとして、夫人は氏の死に関して次のように述べている。すなわちそれは「――種村季弘さんも出棺の辞でいわれたように、生前澁澤は、ウェスヴィアス火山爆発を観察中に火山弾に当たり倒れた大博物学者プリニウスの死を理想の死と申しておりました。ですから、自身の肉体の爆発で一瞬に倒れた澁澤は、理想の死を遂げたと言えるでしょう。しかし、死に理想の死というものがあるのでしょうか……」(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』「あとがき」)と深い悲しみを反語に託している。ところで、氏の誕生日は五月八日であり、それは奇しくも亡くなった八月五日の倒置である。もしもその事実に対して、それが擬似再生(没後の出版ラッシュなど)のための通過点だとする表徴を与えるとするならば、私なぞは決してその死――つまり、氏が生まれてから死ぬまでの間徹した神秘化とダンディズム、そしてその意図的な常套手段のような生き方――を無駄にしたくないと思うのである。すなわち、映像ないしは文字としての記録を試みるべき使命感を覚えるわけで、まぎれもなく私もその衝動に駆られた一人なのである。先に述べた氏の生没の倒置のもつ偶然的表徴の意味合いについて言うのに格好の例があって、氏の作品に『ウロボロスの蛇』というものがある。「ウロボロスの蛇」とは二匹の蛇の一方がもう一方の蛇の尾をくわえ、尾をくわえられた蛇がさらにもう一方の蛇の尾をくわえた形状を呈する、中世のヨーロッパを中心に流行した魔除けの紋章である。以来それは広く文芸学的にも用いられるようにもなり、すなわちそれはメビウスの輪のような円環構造、あるいは輪廻を意味する記号学的解釈をされるようになってゆく。例を挙げるならば、時間旅行を題材としたSF小説にしばしば見受けられることは言うまでもなく、他にそれは文学で言えば、夢野久作氏の『ドグラ・マグラ』があり、映画で言えばアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』が、演劇で言えばサミュエル・ベケット作の『ゴドーを待ちながら』がその主なるものである。いずれの作品においても物語の帰結がその始点に連結しており、そういった構造は永久運動を続ける永久機関が、あらゆる有限の機関とは異なり、皮肉にも建築の死そのものを意味したように、物語自体の決定的終焉(世紀末的、あるいはユートピア的)を導き、ある種永続的耽美の余韻をもたらすのである。それは同時に、氏がファンの心の中で永遠に生き続けるような錯覚を引き起こすのである。氏の旧友の中には、とりわけ故埴谷雄高氏などは、氏の作品の変遷の過程を大きく三期に分けて、ちょうど第三期に突入してまもなくという過渡期に惜しくも亡くなった氏を悼み、新しい澁澤ファンの中から氏に代わり、叶わなかった第三期を構築してゆけるような実力者の出現を望むという声もあった。私の能力ではとてもその大役はつとまらないが、せめて澁澤ファンの一人として後世に「澁澤龍彦」の名を引き継いでゆく担い手の一人になりたく、今回の論文の場を借りてその実現を試みようとするものである。だからなるべく正確に、公平に氏の軌跡を分析していこうと思っているが、現在の私はゲーテの言うように、「正直であることを私は約束できる。しかし不偏不党であることは約束できない」(『ゲーテ格言集』/新潮文庫)心境であるため何とも致しかねない。しかしながら、それはひとえに氏に対する尊敬からであって、愛着や熱意からであって、それから氏の言うことはすべて正しいと思い込んで全面的に信頼し、真っ向から影響を受ける際の一種の敬虔なる信仰から起こり得る生理的・必然的症状であるので了承して頂きたい。せめて私の行き過ぎた熱意による執筆行為が、あらぬ誤謬を招いたりなどして、氏の侮辱に当たらなければ幸いであると思っている。

 

§幻想のコレクション(著者のオブジェ観)


 
 歴史家は過去の語り手であり、小説家は現在の語り手である。
(ゴンクール兄弟)

 歴史が過去の物語であるのに対して、小説は現代の歴史である。
(デュアメル)

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 『高丘親王航海記』(以下『航海記』)は、言わば著者の生命の代償である。以前より患っていた喉の病気が悪化して、入退院を繰り返す日々の合間に書かれた、まさしく畢生の小説である。「架空の物語」であるこの作品のあちらこちらに、主人公を介した著者の代弁ともつかない、第三者にとっては痛々しい、現実と幻想の混淆を認めることができる。
 簡潔に『航海記』のあらすじを述べるなら、基本的には航海記、広い意味での旅行記、冒険譚なのだが、効率よく設定された登場人物――「語学が達者」で「四十がらみの眼光するどい屈強な」安展と、「安展より五歳ほど若」い、「唐土では練丹術や本草学を学んだ俊秀」、そして優しい有徳者として描かれる円覚ら――によって、メルヴィルの『白鯨』さながらのアカデミックな博物学を披瀝するという、意図的なペダントリーが随所にあらわれており、単純なそれとして終始してはいない。主軸となるのは、親王が仏教の悟りの境地を開くため弟子とともに天竺まで行くというものなのだが、それに付随して話を盛り上げるのが、途中で描かれる藤原薬子をはじめとした、秋丸・春丸、パタリヤ・(パタリヤ・)パタタ姫という、4人(3人?)の神秘的な女性のもつ誘導性である。それぞれが互いに関連しあって、夢うつつ入り乱れて複雑に揺れ動く親王の「意識の流れ」を、矛盾なく一貫性をもたせることに成功している。そして時代設定を含めて言うと、日本の暦で、貞観七年(西暦八五六年)乙酉の正月二十七日の広州出発からはじまって天竺までの険しくも楽しい、およそ一年間という短期間の道程をメインに描いた物語である。付け加えて言うならこの主軸となる内容、および構想段階にあった著者の参考としたテクストとしては、高丘親王の入唐前後からの事蹟を伝える『高丘親王入唐略記』、ならびにこれに付載された『頭陀親王入唐略記』があり、これら二つを事実に関する「根本テクスト」として念頭に入れておいた可能性も無きにしもあらずだが、実際にはむしろ後者の校訂本を含む、杉本直治郎博士の『真如親王伝研究』に拠ったところが大きいようである。それを裏付ける推測も、著者の残したメモを信頼するならば容易い。
 以上こういった内容の物語であるが、無責任なようだが現段階でどのような論文が完成するのか漠然としたものですら見当がついていない。だからなるべく収拾がつくように各主題ごとに順を追って、著者の心理を代入したと考えられる表現を逐一挙げていきながら、ある一つの解答を得るための一応の仮説的推論(おそらくは帰納的になってしまい、蓋然的な解答しか得られないのだろうが)を展開してゆくことにする。

 

第一節  作品の解説

§作品のあらまし


 
 他の動物たちはうつむきになって、
目を地面に向けているのにたいして、
人間だけは頭をもたげて天を仰ぐようにさせ、
まっすぐ目をあげて空を見るようにいいつけた。
(オイディウス/『変身物語』)

 一つの世界をつくるためには、あらゆる種類の人間が必要なのだ。
(ヘンリー・ミラー)

 玩具は芸術への小児の最初の入門である。
(シャルル・ボードレール)

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 『航海記』の中には、先にも述べたように、まさに幻想のコレクションとも言うべき奇奇怪々な人間や風習、動植物や鉱物などが多数登場する。そのうち動植物や鉱物の類は、なかでも例えば後で述べることになるだろうほら貝などには、一時期あるいは終始傾倒したシュルレアリスムの影響を強く受けた、オブジェ嗜好家としての著者らしい演出方法が見られる。余談になるのかもしれないが、『航海記』の後に書かれることになる著者最後のエッセイとなった、『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(以下『都心』)の「夢のコレクション」という項で、著者は今後の仕事の抱負というか、現在取り組んでいる暇つぶしの遊びとしてコレクションをはじめたということを書いている。まず手始めに「夢のコレクション」として古今東西の夢に関する記述を含む作品から、フロイトの挙げる夢の例とは異なる作為の――つまりここで言うのは、広義で言うなら、かのハイネが「正確な自叙伝なんかありっこない、人間は自分自身のことではかならず嘘をつくものだ」というのと同じく主張を包含しながらも冷静に現実を見つめた、後で述べることになるだろうが、仮に文体を分析的文体と綜合的文体に大別すれば両者を含蓄するような、「夢のコレクション」の中で著者が言う狭義の「作家は自分の夢を記述するとき、かならず嘘を混じえるものだという説」にあたるものを言うのであるが――夢のコレクションをしたとある。続いて「オブジェのコレクション」として、カフカの短篇『父の気がかり』に登場するオドラデクや、ポーの『黄金虫』に登場する宝探しに貢献するそれなど、他に仮に「幻想博物館」(実際にそのような目的を果たす施設だったか、それを舞台とした作品があるらしい)なるところがあって、そこに陳列されていたらさぞかし楽しいだろうというオブジェのコレクションを多数紹介している。さらには、「人間の変身のイメージのコレクション」などをしていきたいというようなことを書いている。そのような著者にとって、『航海記』はまさにその準備段階、実験としての場所だったに違いない。しかしながら、この「暇つぶしのコレクション」も、著者は自分は本当のコレクターではなく、単なるレトリシアンだとスノビッシュな紳士を演じようと遠まわしに謙遜してはいるが、それもこれもすべて膨大な著者のコント(小噺)と言うか、今となっては知の遺産であるが、人並み外れた選択眼と収集力の結果としての知悉、あるいは予備知識の集蔵体があって、はじめてなせる大業ではなかろうか。また、オブジェについて語るのに、著者の嗜好抜きでは考えられないので、それについても少々紙面を割くことにする。
 まず第二章「蘭房」の部分で、蘭房とはすなわち、この真臘国(現在のカンボジア)の王の垂涎の的となった陳家蘭と呼ばれる単孔の女たちを実験対象として、あるいは見世物的(なぜ曖昧になるかと言えば、それは本文中に「さる天竺のバラモンの説く房中術の理論において、この種の肉体的特徴をそなえた女がきわめて高く評価されているからとしか申しようがありませぬ。あとはよろしく御想像にまかせます」とあるからである)に監禁擁護した房室のことであるが、親王がそこに入場する際に手形としての役割を果たす「ほら貝」がある。そのとき別の男が持つほら貝は右巻きであり、贋物として入場を断られる。親王は秋丸が父の形見として首からさげていた左巻きのほら貝で入場することになるのだが、左巻きのものはヴィシュヌ神の持つものと同じで珍品だという説明をして、ほら貝を象徴的に登場させる件は、珍しい色や形をした貝殻のコレクションをしていた著者の好みが大きく出ている。ヴェルヌの傑作においては「貝類は、まれな例外を除けば、みんな右巻きであって、たまに左巻きの螺塔があると、愛好家は高額の金を支払うのだ」/『海底二万里』(集英社文庫)という記述もあるくらいだ。それとこの蘭房自体が大きなオブジェであるのだが、それは都合上、別項で述べることにする。続いて第四章「密人」の部分で登場する「犬頭人」が局部に着ける、貞操帯の役割を果たす「鈴」である。この鈴については、著者の『マルジナリア』・「鈴をつけた男たち」で語られている。それから第五章の「鏡湖」では、鏡湖とともに親王の死の伏線となる、第六章「真珠」で、つややかな球体というイメージで描かれる真珠と同じ象徴を与えられた、「卵」についてのイメージの描写がある。鎌倉の澁澤邸の書斎にある棚の中に、その「卵」のイメージの根幹となったものだと思われる卵形のオブジェも見られるので、それも著者の嗜好の範疇だろう。またそれは『航海記』の中で、親王の意見として「何とも知れぬ小さな光りもののイメージ」と表されている。さらに、「幼時のころから珠玉をもてあそぶことを好んだ親王」、「子どものころから、自分には美しい珠玉を掌中に玩弄して楽しむという癖があった」などと繰り返し描かれているところからも著者の偏愛の度が読み取れるだろう。『都心』の「鉱物愛と滅亡愛」という項では、著者が幼少の頃の記憶で「ホーシのタマ」、つまり「宝珠の球」と呼んでいた、神社の欄干などについているタマネギ形の、いわゆる擬宝珠が欲しくてたまらなかったと記しており、こういった「硬く、冷たく、ぴかぴか光っていたり、結晶をなしていたり、あるいは透明であったりする」ものを好んだとも書いているから、親王と著者のダブルイメージはどうしても避けられない(この「ダブルイメージ」という言葉に関して、奇異に感じる人もおられるだろうから一応付け加えておくと、三島由紀夫の『林房雄論』の中で「――かくて、林氏は当時の私にとって必須な、二重映像をなしてゐた(後略)」という件があり、私はそれを三島愛好家としても知られた澁澤龍彦の研究をおこなうにあたっての意図的引用であることを、あらかじめ伝えておくことにする)。
 こうして『航海記』に登場する多数何種類ものオブジェを総覧してみると、この作品が、この時期を境にひとまず終止符を打ったかのような、あるいは先の「ウロボロスの蛇」的観点で考えると、始動を予感させるアンソロジー的なものに思えてくる。そういう意味においては、翻訳の時代、異端・エッセイの時代、そして小説の時代と変遷してきた著者の未踏という感も読み取れないこともない。さらに驚くべきことは、その「未踏」という事実が、偶然としても数奇な意識的皮肉とでもいうのか、この『航海記』の中で最も大きな主題として描かれている。そのことについてはまた後で述べることにしよう。

 

第二節  作品の鑑賞

§デペイズマンの技法について

 
 その均衡に何らかの奇異を持たぬかぎり、絶妙の美とは在り得ないのである。
(フランシス・ベーコン)

 目鼻だちのととのった思考など、吐き気をもよおすまでに陳腐な世界の位置づけの役を果たすのみである。
(アントナン・アルトー)


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 著者の盟友、巖谷國士氏が一九九三年から一九九四年にかけておこなった講義をまとめた本に『シュルレアリスムとは何か』というものがある。その中で著者のことについてまで言及している箇所があるので抄出すると――、

   日本における「シュルレアリスム」あるいは「シュール」の概念に影響をおよぼしたもうひとりの人物として、
  意外に思われるかもしれないけれども、澁澤龍彦がいるといっておきましょう。澁澤さんは一九五〇年代
  からシュルレアリスムをさかんに称揚するようになっていったわけで、当時シュルレアリスムの影響をうけて
  いた、あるいはそう自称していた若い詩人はたくさんいるけれども、こと美術の面については、澁澤さんの
  ほうが根本的なものをとらえていたような気がします。ただしそれは、瀧口さんのようなオートマティスムを
  核心とする「シュルレアリスム」とはちがう、「デペイズマン」経由のシュルレアリスムです。おなじ平面の上
  で意外な二項が結びついている状態こそがシュルレアリスムだとまず考えたのが澁澤さんでした。

 ――とあり、「デペイズマン」すなわち、「おなじ平面の上で意外な二項が結びついている状態」、ロートレアモンの言葉で言えば、「ミシンと洋傘との手術台のうえの、不意の出逢い」/『マルドロールの歌』(角川文庫)。また「シュルレアリスム」という広義でくくるのならブルトンの定義が起源であろう。「男性名詞。心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」/『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫)。――例を挙げるならば、エルンストがおこなった「シュルレアリスム的コラージュ」(河出文庫からそれに関する文庫本が現行三冊)もその一つだし、他にこの場合はアプロプリエーションアート(盗用美術)と言ってしまったら興ざめしてしまうのだが、おそらくはアサンブラージュと言う方が正しいのだろうが、デュシャン作の「泉(レディ・メイド)」というのも、実はこれは単なるレディ・メイド(既製品)の便器であって、ここでも非ユークリッド的なことが起こっている。また、もっと分かりやすい例で言えば、ダリやマグリットの絵などにしばしば見られるあの手のものである。また後者の作品「傍聴室」で描かれる巨大なリンゴなどは、アリストテレスの美学の基本概念である「自然の模倣」を思わせる。――を、美術以外でも積極的に文学的に採用する方法をとっていたことが書かれている。著者はわずかな期間であるが美術学校の講師を勤めたこともあるので、ダリなどを愛好する、どちらかといえば鑑賞派の著者が、その「デペイズマン」をふんだんにふりまいた小説を書くことには何ら不思議を感じない。著者の知識が途方もなく広範囲で、しかも選りすぐられた知識であるのも、先に述べた「デペイズマン」の技法を好んだ著者ならではだと思う。なぜなら言わばこの「デペイズマン」は、教育学的に見れば「インテグレート」――すなわち、課目別の知識を互いに関連させて、総合的な思考力を養わせること――の役割を果たしているのも同じであるからである。そういった意味でこの『航海記』を読みすすめていくと、いろいろと気が付くことが出てくる。いちいち挙げていたら際限がないのだが、今回はディテールにこだわれば、第四章「密人」で親王が丸木舟を足でこいで砂漠を横断する部分で、激しい運動と浮遊感が情感を高ぶらせるという旨の表現をしており、ここでどうしても思い出すのが、著者が訳したジャリの『超男性』である。二十世紀初頭の機械崇拝というよりは、むしろ性的運動になぞらえられたスポーツとして描かれる、列車と競走して全速力で走る永久運動食チームの五人乗り自転車に、この既製品としての丸木舟を当てれば、なるほどと納得がいく。その他の「デペイズマン」については都合上、別項で逐一例を挙げながら述べることにする。

 

§アレゴリー、アナクロニズム、ノスタルジーについて

 
 マルコ・ポーロの物語は、他の何人もの古代の旅行者の記録と同じように、世の人々に理由なき嘲笑を蒙ったが、学者たちによってそれが真実であることが証明され、我々の信憑に値するものとなっている。
(シャルル・ボードレール/『人工楽園』)

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 寓喩的で、アナクロニズム批判や、各種イベントなどの介入のさせ方など、全体的にかもし出す雰囲気としては、イタロ・カルヴィーノの『マルコ・ポーロの見えない都市』や、ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』などを想起させる。前者について少しだけ補足すると、マルコ・ポーロがフビライ・ハンに派遣されて歴訪したという架空の諸都市について、完全に時間性と現実性を無視して報告するという体裁の、『東方見聞録』のパロディーであるのだが、第一章「儒艮」(連載時は「大蟻食い」だった)で登場する大蟻食いに、そのことを象徴させている。結局この部分は後で親王の幻覚だったようだと片付けられてしまうのだが、占城(現在のベトナム)という土地でこの大蟻食いに出くわしたとき、博物学にあかるい円覚が言うに、「そもそも大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行きついた新大陸とやらで初めて発見されるべき生きものです。(中略)いまここに存在していること自体が時間的にも空間的にも背理ではありませぬか」とカルヴィーノ式に時間性を無視した説明の仕方で批判的指摘、あるいはパロディーを披露している。またそれは第四章「犬頭人」で、犬頭人に予知能力という特殊な能力をもたせた設定で、同じように時間性を無視したアナクロニズム批判をおこなっている。抜き出せば「つらつら四百年後世界を判ずれば、まずヨーロッパからマルコ・ポーロ、オデリコ、カルピーニ、ハイトン、それにアラビアからイブン・バットゥータという旅行家がやってきて、このアラカン国のごく近くを騎馬や船で通り、帰国後、どこで聞きかじったのか、犬頭人の噂を無責任に流布でしめるものだから、いやはやどうも、あきれたものだよ。なかには場所を間違えて、アラカン国をアンダマン島だとか、ニコバル島だとか書くようなやつまで出てくる始末さ。まあ、彼らの無責任ぶりを考えればむりもないところだろうがね」と時間的にも現実的にも不条理な大演説をやらせている。
 それからまた、『航海記』全体に大きく作用して、親王の渡天のきっかけとなるだけあってか、しつこいくらい語られる藤原薬子との幼児体験の描写も、「薬子の乱」の詳細が明らかとなっていないところから、著者の懐古主義というか、過去回帰主義的ノスタルジーを投影させた一種のアナクロニズム、そう言うと語弊があるので言葉をかえて、執筆時において親王に連帯的苦悩を求めた結果のような時間的一致が起こっている。余談になるが、この薬子については『航海記』の中でスキャンダラスに描かれているが、それとは別におもしろい歴史的意見として、著者が連載後に改訂増補した一九七字を抜き書いてみると、「(一字下げ)薬子とは、本来は一般名詞で、宮中における毒味役の側近のことを意味したらしい。それが個人の名前になったところに、おそらくは薬子の薬子たる所以があったのだろう。そういえば古代の本草学の書『大同類聚方』百巻が編纂されたのも平城帝の時代であった。意外に知られていないが、この時代の権力争いに薬物学や毒物学がいかに必要とされたかを考えてみるべきだろう。薬子とは、いわばこの時代の象徴的な名前だったはずだ」、となる。病に臥していながらの作業としては随分と力の入ったものではないか。常に本は読まなきゃだめだ」と言っていたという著者の、読書に対する真摯な姿勢というのも、こんなところからも推し量られてくる。
 『航海記』の中での薬子の存在価値はあまりにも大きく、ジャリ同様、著者の私生活や実体験を反映している描写はどこまでなのかはかり知れないほど、それらしく表現に該当する箇所がたくさんあるが、特に大きく分かるところだけ書き出せば、第三章「獏園」でこの盤盤(現在のマライ半島中部)という国の太守のひとり娘で、憂鬱症のパタリヤ・パタタ姫が獏と戯れている場面における親王の回想シーンで以下のようなものがある。それはすなわち、「そういえば、まだ七つか八つの幼児のころ、親王は薬子のいたずらっぽい手で、おのれの股間の小さな玉をもてあそばれて、初めて肉体の恍惚感というものを知らされたので――」という件だが、これはもとより、岡本帰一氏のカバー画が良き少年時代へと思いを馳せさせ、何とも言い難い懐旧の念を起こさせる著者の珠玉のエッセイ集『狐のだんぶくろ』に収められた「病気の問屋さん」で登場する派出婦が、薬子とのダブルイメージとなっているのは明瞭である。そこから以下抜き書くと、「派出婦はときどき、火鉢にあたって暖まった手を、私の蒲団のなかへこっそり突っこんでは、「王手金とり!」といいながら私の小さなものを掌にぎゅっと握った。(中略)私はこのときも、ただキャッキャッと意味もなく笑っているほかなかった」というものである。
 それから、そういえば第三章「獏園」で描写される「きのこ」のような、甘美であったり、醜悪であったりする獏の糞についても、獏園の番人が親王一行に糞の説明をするとき、「あれは獏の食った夢のかすだよ」となっており、後の『都心』の「獏の枕について」という項では、「夢は眠りの糞である」と言った、著者が愛するコクトーの言葉を引用したり、さらには古代中国の「豚便所」にまで言及したりしている件があっておもしろい。ついでに言えば、『航海記』本文中の親王の描写で、「子どものころから夢を見るのが得意だったし、楽しい夢ばかり見てきたとつねづね自負している自分である。楽しい夢は思い出してこそ、ますます楽しくなる」の前半の文は、やはり『都心』の「獏の枕について」の項の「私は悪夢というものをほとんど見たことがないので(後略)」に、後半の文は同じく「獏の枕について」から、ニーチェの『悦ばしき知恵』に言及した、「夢見る――夢はまったく見ないか、あるいは面白い夢を見るのがいい。目をさましている場合も、それと同じことだと私たちは悟らなければならぬ。つまり、まったく目をさまさずにいるか、あるいは面白く目をさましていることだ」という部分と呼応していると考えられるようだ。これらの感情や予備知識が、『航海記』執筆の時点で既に念頭にあったと解釈すべきようである。また、こういった絶大な記憶力によってよみがえる幼児体験に関するささやかな告白も、著者のエッセイの魅力的な特徴のひとつである(加えて著者の自作年譜における思い出話もおもしろい)。
 今まで列挙してきた、これらのような意識下の時間的一致、あるいは言葉をかえて、著者の心理の代入は『航海記』の中にしばしば見受けられる。どんなに考えても、著者はどうしてこのようなことを意識下でおこなったのかまるっきり見当がつかない。ただ一つ確かなことといえば、著者にとってはフィフティ・フィフティであったであろう生死の狭間において、奇妙な焦燥感というものがあったのではないかということである。そうでなければ、あんなに急速な世界の地理歴史の知識の吸収・放出や、著者にしては珍しい丹念な校正という「奇行」をしなくてもよかったように思われる。しかしまた別の方角から考えると、著者にまだ執筆の余裕があって、じっくり取り組んだとすれば、この「未完小説」としての『航海記』が、より完成度の高い旅行記になっていたかもしれない。ただしその場合、後で述べるが、その代償としてユートピア的色合いは褪せてしまったであろうと思われる。

 

§二元論的支配、小説の明晰性の確立、およびクリシェの文体について

 
 生と死、現実と想像、過去と未来、伝達可能なものと伝達不可能なもの、高いものと低いものとが、そこから見るともはや矛盾したものに感じられなくなる精神の一点がかならずや存在するはずである。ところで、この一点を突きとめる希望以外の動機をシュルレアリスム活動に求めても無駄である。
(アンドレ・ブルトン)

 オレはオールネット・コールマンが好きだ。ヤツは決してクリシェをプレイしないからな。
(マイルス・デイビス)

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 著者が、一九七五年に「ユリイカ」(青土社)上でおこなったロールシャッハテストについては、あまり知られていないようである。そうでなくても重要視されてはいない。私はこのロールシャッハテストについて、用語は聞いたことがあっても、その実態に関しては全く分からない。しかし私はどうにも常日頃から、こういう形而上学的な学問について、瑣末な不信感を抱いていたものだった。それというのも、魯迅や竹内好――あるいは、アンガージュマンという面からみた、サルトルやカミュ――とまではいかないまでも、私にとってすべての非日常的な、あるいは空想上の出来事は、自らの体験をもってしないと信じ得ないという普段の身構えからきているのだろうと思う。
 随分と前置きが長くなってしまったが、そのロールシャッハテストでは著者の内面に、主に「二元論的思考」と「明晰への志向」という観念要素がみられるという結果が得られたようである。私はどうしてもこの「明晰」という言葉を聞くと、とっさに、それこそ二元論的に「難解」という言葉を連想してしまう。さらにそこから連想ゲーム式に、先日亡くなった埴谷雄高氏を連想してみる。連想と言えば以前読んだ本に、とんでもなく途方な連想を繰り広げていって、あろう筈のない未来に暗澹たる世界を垣間見て神経を擦り減らしてゆくという男を主人公にしたものがあったが、タイトルを忘れてしまった。もちろんそこまでの連想はとても無理である。
 余談になるが埴谷雄高氏といえば、あの岡本太郎をして「何を言うたか」とあだ名せしめ(おそらく椎名麟三や野間宏、花田清輝らが結成した「夜の会」の席でのことだろう)、人間の精神というミクロコスモスを、マクロコスモスとしての宇宙的精神にまで高め、転置しようと試みた作家である。高橋和己氏の評論集に「逸脱の論理」というのがあって、そこには名評論がたくさん収められているのだが、その中の「埴谷雄高論」の項で、氏について、洗練卓抜された言葉で的確に表している部分が冒頭にあるので紹介すると、「表現者の最大の不幸は、みずから構築した諸観念のもっともよき理解者が、他ならぬ当の本人自身でしかないという閉塞的回帰状態におちいることである」というものである。この状態が明晰・難解という二元論的見地からみて、いかにベストセラー作家、澁澤龍彦の作風とシンメトリー、あるいは『航海記』流に言えば、すぐ後で述べる「アンチポデス」をなしているか、今まで得た著者についての解答を参照していただければ理解に労を費やさない筈である。そういった明晰性を裏付ける表現も、もちろん作中にあらわれており、例えば、第三章「獏園」において親王一行が、鼻の長い獏を見た後で象を見たときの描写、「象を初めて見たふたりは、ついこのあいだ見た動物よりもさらに鼻の長い動物がいることを知って、つくづくあきれた」の「つくづくあきれた」という感情表現の仕方などはその典型であろう。第一、この『航海記』の結末というか、話の進展自体が明晰性に富んでいる。『航海記』の結末は、病気か寿命か分からないが、親王自身が渡天の夢を現実的に果たすことが不可能だということを悟った挙句に、パタリヤ・パタタ姫の申し出――すなわち「餓虎投身」という行為によって羅越(現在のシンガポール付近)の大虎に食われて死後に渡天を果たすこと――を聞き入れ、幕を閉じるという設定になっている。実はこの物語は、後で述べるが、親王が天竺に行くだけという単純なものではないのである。とにかく、この至極単純明快な結末は、物語の途中で幾度も盛り上げをみせる、この『航海記』が、アンチクライマックスの修辞法で書かれていることを証明していることでもあるのだろう。
 それから、『航海記』全体から伝わる二元論的支配は、おそらく、東の広州から西の天竺へ向かうという、この内容が醸し出すものであろう。これには著者が確実に真似たであろう先行テクストがあって、それは先に紹介した著者の盟友、巖谷國士氏の訳でドーマル作の『類推の山』(河出文庫)である。この物語については後で詳しく触れようと思う。内容の方はタイトルを見ればなんとなく想像がつくかと思うが、この「類推(アナロジー)」という概念によってしか到達することの不可能な――「それは地球上のどこかに存在しなければならず、ある高次の人類の住処でなければならない」――山(類推の山)を試行錯誤して目指し、選ばれた一行が、そのための航海に出る過程(類推解釈)のみを描いたシュルレアリスム色の濃い冒険小説風のユートピア譚である。またこの作品の宣伝用パンフレットに寄せた澁澤龍彦の言葉を借りれば、「――人間が希望を失わずに生きてゆくためには、どうしても存在しなければならないと作者ドーマルの主張する、この時間空間の原点ともいうべきシンボリックな山の探求の物語(後略)」ということになる、この『類推の山』も、結論はやはり分からず終まいになっている。巖谷國士氏が、この作品の「文庫版あとがき」の中で澁澤龍彦について書いているのが以下である。「――また後年の彼が『高丘親王航海記』の原型を思わせる小説の構想を(構想のみを)いだいたさいにこの『類推の山』にヒントを求めたらしい(後略)」とあるので、この『類推の山』が『航海記』の先行テクストとなっていることは察しがつくし、それ以前に、『類推の山』を読んだ瞬間、誰もがあっと思う筈である。それほど『航海記』は、この作品の影響を受けていると言える。詳しくは後で述べよう。
 それからまた、部分的にも二元論的な意図つかわれており、第一章「儒艮」における円覚と大蟻食いとの「ディベート」の部分で大蟻食いが言うに、「おれたち一類の発祥した新大陸のアマゾン河流域地方は、ここから見て、ちょうど地球の裏側にあたっている」、「つまり、おれたちは新大陸の大蟻食いにとってのアンチポデスなのだ」、さらにアンチポデスの説明を含め、以下のように続けている。「いかにも、地球の裏側には、ちょうど物のかげが倒立して水にうつるように、おれたちの足の裏にぴったり対応して、おれたちとそっくりな生き物がさかさまに存在している。それがアンチポデスだ(後略)」というようなことを熱っぽく語っているのである。また、やはり第一章で親王の幼い日の、薬子との会話の思い出を描くあたりで、薬子が親王に説明する天竺――「そう、お釈迦さまのお生まれになった国よ。(中略)天竺では、なにもかもがわたしたちの世界とは正反対なの。わたしたちの昼は天竺の夜。わたしたちの夏は天竺の冬。わたしたちの上は天竺の下。わたしたちの男は天竺の女。(後略)」――にもまた、二元論的支配が及んでいる。それから親王一行についてゆくことになる秋丸、そしてそのドッペルゲンガーとして描かれる春丸もその限りであろう。モーとホーが合体して「ホモ(ヒト)」となる話(『空虚人と苦薔薇の物語』)がドーマルの作品にあると編集委員の対談の中にあったが、秋丸・春丸両者も合体したと考えれば理解がすんなりといくようである。またこれは同時に、ジェンダーとしての男女の区別もつかないというような描写をしているところからも、著者の『裸婦の中の裸婦』の「両性具有の女」という項で語られる、また後で述べる『大理石』の「プラトン的立体」の記念物の中にあるとされるレプリカのヘルマフロディトス(本来それは、現在置かれている部屋は閉鎖中だがウフィッツィ美術館に、本物はルーブル美術館にそれぞれ置かれている)を彷彿とさせる。そしてさらに著者のことだから、というわけで、そこからプラトンの『饗宴』や、プリニウスに影響を受けたものだろうとまで考えられるのである。著者にとって、このアンドロギュノス(両性具有)は、男女どちらであってもいいというパラドクサルな意見を含みつつも、そこにアンビバレンスな感想をもとうとする著者の志向のあらわれではなかろうか?
 こういったように、著者は必ず対になるものを創造している。著者のこれまでの作品というのは、若かりし頃、エラリー・クィーンを読み、それとなくダンディズムを啓蒙していたような著者だから、アームチェア・ディテクティブという言葉がふさわしいか、いかにも著者の書斎から誕生したかのような動きの少ないものが多かったが、この『航海記』は断じて違う。先の例にならって続けるなら、若い著者が楽しんだに違いない探偵小説『ファントマ』に登場するパリの新聞記者、ジェローム・ファンドールのようにあちこち奔走する小説である。これは親王が、病気でうまい具合に動きのとれない著者のアンチポデスとなっているためか。まあ、これは考え過ぎだろう。
 とにかく著者の表現は、極力難解な言葉は避け、登場人物の余計な感情表現は敢えてしない。例えば「つくづくあきれた」の表現である。「微笑む」なら「ニッコリ微笑む」。編集委員会の方々の言葉を借りれば、「紋切型」の言い回しである。そうすることによって、小気味よく進展してゆく物語の本筋を横道にそらさず、醍醐味を損なうことなく読者にまで伝えることができるのである。また、冒険譚の語り手である著者が無理に読者を牽引してゆくこともないので、読者に想像の余地を与えるという一面もあろう。これは、著者の一種のレトリックではなかろうか。とすれば著者の『滞欧日記』が、スタンダールの紀行文を意識しているというのも頷ける。また、影響を受けた作家たちからも推測できる。著者が生涯尊敬してやまなかった、三島由紀夫やコクトーにしてもそうだが、殊文体論上で言えば、石川淳や日夏耿之介あたりがそうであろう。前者などは、『至福千年』(岩波文庫)に寄せた著者のあとがきなどを見れば明らかにそれがうち出ている。著者の明晰な紋切型の文体の極め付けとして、三島由紀夫他、名だたる文学者お墨付きの著者の名訳、コクトーの『大胯びらき』(福武文庫)を参考にするとよい。また、齋藤磯雄先生の追悼文にもそれとないことが書かれているし、著者がこよなく愛した、リラダンの『未来のイヴ』を齋藤磯雄訳ででも読んでいたというところからも何となく想像がつく。それでいて、花田清輝氏の『アヴァンギャルド芸術』というエッセイを参考にすれば、報道的でもあり、批評家的でもある著者の文体は、分析的・綜合的文体を兼ね備えた理想的な文体と言えるだろう。ただ必ず付け加えておかねばならないことは、当たり前のことだが著者の思考までが「クリシェ(常套句)」――私は、ギターを少しかじっていたことがあるので音楽にも例えると、状況にもよるが、ポップス調の曲で定番のコード進行といえば、仮にAメロの部分を8小節とすると、その7、8、あるいは8小節目を二つに分けたところが2度→5度となっているようなものを指すが、私たちはこういう状態を「クリシェ」と呼んでいた――で連ねてあるというわけではない。こういうのは、あくまでも著者の意図的な所作の賜物であり、これはむしろ――ロールシャッハテストの後で「防御のナルシシズム」を認められ、「観念ばかりが活動して、情動との連結が隠されてしまう」と診断された著者が述べた感想――「しゃべるということは、おそらく私にとって、相手に何かを見せることではなくて、隠すことになってしまうのだろう」というのに明らかにあらわれている、あのポーやアポリネールらが好んだミスティフィカシオン(=ミスティフィケーション=神秘化=ごまかし)のような特異な癖に端を発する技法の一つであろうと思う。いずれにしても、こういった冷静かつ意図的な著者の一種のペダントリーが、単なる軽薄短小の博物誌、あるいは断末魔の叫びのような悲壮感剥き出しの稚拙な――自殺による自己の作品の開花をねらった、古代ギリシャの一詩人の作品のような――私小説で終始することなく、偉大な旅行記を編み出すことに繋がったことは周知の事実である。

 

§非在、あるいは未到達という「極楽浄土」を目指すユートピア小説、
                 ならびに神聖幾何学的建築性の構築について

 
 そこに山があるからだ。
(ジョージ・リー・マロリー)

 きみはそこに不在だったことで著しく目立った。
(ジョン・ラッセル)

 ハッピーエンドで終わる偉大な小説はありません。
(フランソワーズ・サガン)

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 『航海記』の物語的醍醐味は、何と言っても結論として目的地である天竺に到達できないというところにある。これは、先に述べた『類推の山』の結論と同じである。したがって、「あの後どうなっただろう?」というお決まりの、爽快な淡い気持ちだけを残す読後感をもたらすこととなる。
 そもそも「ユートピア」という言葉は、今でこそ巷で「湯〜とぴあ」や、日本のとある政治家たちが結成した「ユートピア研究会」なるものなどで、言葉だけが先走って氾濫しているが、もともとは、大航海時代の英作家、トマス・モアの造語である。しかし実は、それ以前にもそのような思想はあって、知り得る最古のものでは、プラトンの『国家』がある。今回述べたい主旨とは無関係だが、重要なのは彼らの描く世界が何世紀の時を経ても色褪せず、昨今のユートピア思想でも基本的な定義があまり変わっていないという点である。すなわち建築的側面だけからみると、円形の公園から四方八方に主要道路がのびるというような、中央集権型の都市構想である。芭蕉の根幹思想としての「不易流行」が、いかにそれ自体不易であるかを実感させられる。ところで、実は「ユートピア」という言葉の本来の意味は、こういう――先の「ユートピア研究会」のような――つかわれ方をされてばかりいると、誰もが勘違いするところだろうが、源語をヨーロッパにもち、英語訳では「妄想的」や「馬鹿げた」という意味になるらしいのである。そういう風に考えると、現実的かつ国際的でなければならぬ政治家たちの「ユートピア研究会」発足の意義も、一体何がやりたいのか分かるようで分からなくなる。
 冗談はこのくらいにしておいて話を戻すと、『航海記』の結末の設定も『類推の山』と同じく、羅越で客死した親王の所伝を踏襲しているという点で、「ユートピア」としての天竺に到達できないということがあらかじめ定まっていたと考えるのが妥当である。そして「類推の山」が「現実の地図上にない場所」という「非在」のユートピアなら、「天竺」は「親王の死によって果たせなかった」という所伝に基づいた「未到達」のユートピアであると言えるだろう。この二つの関係は、先行テクストに対する著者のアナロジックな模写となっているとも思える。しかし文学というものはあくまでも常に、言語現象がつくり出す非現実への意識そのものなのである。正確に言えばそれら――すなわち「非在」と「未到達」――は同義ではない。「事象」である「非在」とは、明らかに最初から設定されている事実であり、それは二元論的な意味合いしかもたず、その変容はあり得ない。しかし「行為」である「未到達」と「到達」との間には必ず意識や機能などが存在し、ある座標のもとにそれらは位置づけられるのである。またショーペンハウアーの「個体化の原理」、あるいは「根拠の原理」によれば、存在は「時間と空間」によって、行為は「動機づけの法則」によって根拠づけられるそうである。著者のおこなったこの一連の引用は、ロラン・バルトの基本概念である「エクリチュール」のつかわれ方が初期と後期で違うように、言わば微妙な断層を生む地滑り効果がおこっている。こう考えれば「未到達」という結末が、ただの曖昧な物語構成になっていないどころか、先に述べた確固とした座標――例えば「意識」で考えられるものならば、著者の中にあった自身の病気による焦燥感(事実、常に「時間が足りない」と口にしていたようである)や、「プリニウスの死」志向などがそうであり、「機能」で言えば、物語の不変性、つまりユートピア的世界の構築を叶えることに繋がり、物語の内容に適した後味の良い読後感をもたらすことに成功していることなどが挙げられる――のもとに存在するアンチクライマックスの構成の中のある一つの修辞効果となっており、『航海記』を幻想文学たらしめている大きな要因ともなっているのだろう。しつこいようだが、この「未到達」という結末は著者の病気や死によって中絶した、あるいははしょられた「未完小説」ということではない。『航海記』が親王の所伝に基づいて着想した小説であるのだから、もちろん作為的な結末なのである。これと似たようなことは渋沢孝輔先生が、瀧口修造氏の詩篇についての評論対談の中で、「それは完結するはずのないところで始まっているからそうなるんで、普通に言う意味での作品の未完ということ(「と」――編集者の脱字か?)は全然意味が違いますね。(後略)」/『新装版・現代詩読本「瀧口修造」』(思潮社)とおっしゃっていらして、さらに著者、澁澤龍彦も同じ本の中で、瀧口氏について「未完成を志向しながらも完成品を残してしまうのが、すぐれた詩人の宿命なのだと私は納得している」と特別な賛辞を寄せているくらいだから、この『航海記』の結末が、少なくとも意図的な未完成を「目指した」ことは決定的な事実であろう。そういう意味で、パウル・シェーアバルトの『永久機関』における、その偉大な発明品の完成が、皮肉にも「建築そのものの死」を意味したことは前に書いたが、「理想の国」――軽率にも安易にその国を望む者は、永久に続く快適さを求めた結果、遅からずそれが時間の経過の起こらないマンネリとした「死の国」であることに気が付くことだろう――その場合とは異なり『航海記』は、というより著者は、どちらかというと語源的意味でこの「ユートピア」を用いている。文学的に言えば「反(アンチ)ユートピスト」としての立場をとったということになろう。
 それから、第三章「獏園」での親王の体験や見ていた夢は、章末で秋丸に起こされる設定で夢や夢中夢ということになっている。親王の夢や幻覚という設定になっている部分は他にもたくさんあるが、これらのアンソロジー的な夢の描写の仕方に、著者と高橋たか子共訳の、マンディアルグ長編小説の最高傑作と帯にも謳われる『大理石』の影響を感じる。著者のメモの中にもこの作品の名を見つけることができるが、『大理石』の第四章「証人のささやかな錬夢術(オニロスコピー)」という項の、自分の見た夢を紙片に書き留めながらも、それを人気のないところに置き去りにしてきてしまう主人公フェレオル・ビュックの夢の描写、つまりマンディアルグの手法が取り込まれているような気がしてならない。もっとも『都心』の中で、著者が挙げたベストテンの中に『大理石』や、先に挙げた『未来のイヴ』や『超男性』が入ってきているから、大体にして当たらずも遠からずな指摘となるには違いないのだが……。
 さて、これから『航海記』の中に見られるユートピアを形成する諸要素(主に『大理石』的)をかいつまんで紹介していこうと思う。まず『航海記』第二章「蘭房」で語られる、蘭房がその一つだと思う。その描写の部分を抜き出すと、「――長い回廊をまっすぐあるいてゆくと、そのどんづまりに広間のような八角形の部屋があって、(中略)部屋の床も一種のモザイクで、親王がすわっている椅子を中心として、七つの房室の扉まで放射状にタイルが敷き詰めてある。あきらかに装飾的な意図をこめて、この蘭室はデザインされているものと知れた」となるのだが、この「八角形の部屋」が私たちに想起せしめるものは、まぎれもなく、『大理石』第三章「プラトン的立体」で描かれる五つの記念物である。すなわち、正四面体・立方体・正八面体・五角十二面体・正二十面体のことである。――プラトン的立体の詳細については『大理石』(人文書院)「あとがき」の中の、数学者ヘルマン・ヴァイルの名著とある『シンメトリー』から引用した解説の部分を参照のこと。――この波紋のように放射状に広がる蘭房の構造に神聖幾何学的なものを連想し、また著者好みだと思った。またしても余談となるが、私は神聖幾何学については全く知らないのだが、私が自分の目で生まれて初めてそれらしきものを見たのが、つい一年ほど前のことでついでに書き記しておくと、友人たちと山陰の方へ旅行した際、兵庫県の「山陰海岸国立公園・周遊指定地玄武洞」というところに立ち寄った。いくつかある洞穴の中で「青龍洞」というのがあって、それは、たくさん突き出た奇岩だけで構成されている洞穴だった。突き出た奇岩の一つをよく観察してみると、驚くべきことにそれは正確な多角形をなしていたのである。自然の神秘というか、洞穴の名前にも風水学的なものがあるし、これが神聖幾何学というものなのだろうか、とこのとき感じたものであった。
 話を戻すと、この蘭房も一種のユートピア的世界の一要素たる、立派なオブジェの役割を果たしているといえるのである。「役割を果たすオブジェ」と言うと、何か矛盾した感があるので、『大理石』風に「記念物」と言い換えた方がいいのかもしれない。それからもう一つ、大きなユートピア的世界を構築しているものといえば、第三章「獏園」で語られる獏園自体を含む周辺の様子で、それは『大理石』第五章「死の劇場」に呼応するような形で描写されている。獏園は先にも少し触れたが、「薬子の生まれかわりかとも思われる」パタリヤ・パタタ姫の憂鬱症を治すためにつかわれる獏が飼われている施設であるが、ここで語られる出来事は親王の夢か幻覚なのである。彼女と獏が戯れる場面で「観客」たちの描写した部分がある。「――侍女たちは外から柵にしがみつくようにして、目をきらきらさせながら、女主人と動物との一挙一動を食い入るように見つめていた」というものだが、確か『大理石』で、ボルゴロトンド(イタリア語で「円い村」と解釈)と設定された――円形都市について、美術史学者アンドレ・シャステル『イタリア・ルネッサンスの大工房、一四六〇−一五〇〇年』と、ベルナール・パリッシーという十六世紀フランスの陶工が、カトリーヌ・ド・メディチに献じた『確実な道』という書物があるということが、これも『大理石』のあとがきに書いてあるので参照のこと――村にある「死の劇場」で物々しく執り行われるこの土地の風習で、まもなく死に逝く女たちを円屋根の「死の劇場」で見届けるというのがあって、それを観客である男たちが食い入るように見つめているという場面があった。さらに『航海記』においては「けものが精をはな」った後すぐ、夢からさめた親王が茫然とする件があって、それが『大理石』の「緊張の放出」という表現に呼応しているような気もする。そしてそれら一連の描写が、何か『航海記』の中で劇を見守る観客たち(親王も含む)の興奮と似たような描写だと感じた。だからといって(いくら著者のメモの中に『大理石』の名があるからといって)、安易にこの部分同士を共通点として結び付けようとするのは根拠薄弱な暴言と言われるかもしれない。しかし、いつだって最初に言う人の言葉は暴言に聞こえるものなのである。
 以上、あらゆる他作品との比較を試みてきたわけだが、そろそろこんなところで「意図的な未完成を目指して(?)」、この論文を終わりにしたいと思う。

 

§結語

 
 おお、ありとある治世の、ありとある国家の殺戮者よ、投獄者よ、そして馬鹿者よ。
 いつになったら君等は、人間を閉じ込め死なせる学よりも、人間を知る学を尊重するようになるのだろう。
(D−A・フランソワ・ド・サド)

 知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、学問は非常に阻止される。
(ゲーテ)

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 『航海記』の結末は親王が虎に食われたところで終わる。前に述べたと思うが、著者の死に方が、著者が愛し、そして望んだ「プリニウスの死」であったことを思うと、『航海記』全体に何か著者の悲しい予感めいたものを感じて涙を誘う。その根拠の一部を形成すると思われる著者の志向の現れとして、『都心』の「夢のコレクション」も中に、著者が好きだという十八世紀ドイツのアフォリズム作家、リヒテンベルクの書いたエピソードを挙げているので引用してみることにしよう。
 「エドワード四世は王弟クラレンス公を処刑しなければならぬと判断したとき、王の心づかいによって、彼にその死にかたを選ぶ機会をあたえた。クラレンス公はマームジー葡萄酒の樽のなかで溺れて死にたいと願った。そこでその願いはロンドン塔で実現されたのである」
 このエピソードに対して述べた著者の意見は、さらにその「悲しい予感説」に拍車をかけることを余儀なくさせる。すなわちそれは、「どういうものか、私はこのエピソードがたいへん好きなのである。どうして好きなのだろうか。どうせ死ぬなら香り高い葡萄酒にむせびながら死のうという、その快楽主義的な死にかたが魅力的に見えるのだろうか(後略)」というもので重要なキーになる著者の死生観を述べているが、いまさらにして思えば『航海記』の中でときどき触れる、空海上人(弘法大師)が死期を悟って入定するという件や、特に第一章「儒艮」で儒艮が死ぬときのセリフ、「――おれはことばといっしょに死ぬよ。たとえいのち尽きるとも、儒艮の魂気がこのまま絶えるということはない。いずれ近き将来、南の海でふたたびお目にかかろう」などには、ロールシャッハテストで認められた、編集委員の方々が「少年皇帝」とあだ名する、著者の内の幼児性(アンファンティリスム)のようなものも見られないわけでもないが、この古典物語の常套である復活を予言するかのような儒艮のセリフの中に、私は「(文字としての)ことば」を残すという行為によって、自らの生きた証拠を残さんとする、決して他力本願ではなく、軟弱な精神の持ち主でもない著者のプラグマティズムの思想を読み取った。
 ところで、こういう風に著者の心理状態の代入が、しばしば意図的におこなわれている『航海記』を、著者の病気という「所伝・澁澤龍彦」の中の、ある種のトラジディーとして読みすすめてゆくと、随所に挿入される著者のノスタルジックな思い出話、オカルト用語で言えば「パノラマ回顧」で構成される、この『航海記』が凝った作中作の作品のように思えてきて、妙な感慨がわいてくる。しかし長い作家生活の中で一度もスランプに陥ったことのないという、またサド裁判にみられる気概のある著者の諸作品というのは、「選ばれたる者の恍惚、我にあり」と言った太宰治のような自尊もなければ、影響を受けつつも、同じ天才でも、その理性がゆえのシェストフ的不安というか、あるいはデュルケームの唱えた「アノミー」下における孤独の重みによって、思わず偽悪的批判態度に出てしまうポーのような暗さなどは微塵もない。また生涯を通じて、文壇や派閥とも無縁に過ごしたという著者が飲み会を開けば、まさにその道の大御所たちが、サロンと化した鎌倉の澁澤邸に一斉に集い、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎとなるほどのカリスマ性の持ち主である。数あるサド(姦通)文学の中でも、とりわけ他作品とは一線を画す明るさをあわせ持つ、マルキ・ド・サドの作品をこよなく愛した著者ならではである。そういうわけだから著者の作品の多くは読後に嫌な感じの残らない、それどころか元気を与えてくれるものばかりなので――おそらくは著者が幼い頃読み耽った「少年倶楽部」などに連載されていた、冒険小説(特に山中峯太郎や南洋一郎もの)の影響もあるのだろう。――『航海記』執筆中に、既に構想があったとされる『玉虫物語』についても、読んでみたかった気になってくる。
 なにはさておき、我が愛すべき(と自称する)澁澤龍彦についての論文を書き終えたわけだが、ここで改めて自分の論文を振り返って見てみると、まさに(『論語』から)「内に省みて疚し」いところだらけであることに気付く。内容空疎な断章主義や先端紹介的あやふやさをもって「文学的」というよりは、むしろ「文学史的」アプローチにしかなってなく、それにしては亜流が多過ぎて目指した「アカデミックさ」や「ペダントリー」は果たせず、単なる「スノッブ」や「知ったかぶり」で終わったように思う。歌に例えるなら「学問連歌」とでもいうのか、と反省してるそばから続けてしまう。この読む者すべてを辟易とさせるような表現の仕方は実は本意ではなく、極私的な諸事情によって偽悪的態度をとってしまう、ある種の病気(一言で言えばストレス発散のための一手段)だと考えていただければ幸いだと思っている。それから、構想一年、執筆四日というのも、実は、ただの己の怠慢に対する言い訳にしかすぎないのかもしれない……。『航海記』をやるなら本当はもっと調べなくてはならないことがたくさんあった筈である。例えば日本を含む世界の地理歴史及び関連する古今東西の書物(これはちょっと無理か)、鉱物誌までを含む博物誌、タオイズムや仏教思想、それから著者の友人でもあり、あの有名なサド裁判でともに闘った、現代思潮社の社長、石井恭二氏(の影響)について、そして何よりも著者自身のことについて私はまだまだ不勉強だったように思う。まあ数々の暴言も最後の「学生」という肩書きに免じて、その「自由権」のもとに、どうぞご容赦いただきたい。
 さて、言い訳はこれくらいにしておいて、そろそろこの論文を終わらせなければならない。その前に、私は前に「緒言」のところで著者の『ウロボロスの蛇』について触れた。だから著者への哀悼の意味も込めて、最後は「ウロボロスの蛇」的に「緒言」に連結させて終えるために、中野美代子女史の『仙界とポルノグラフィ』(河出文庫)というエッセイの「悲劇のウロボロス」という項から、女史の創った回文を引用するという我流「コラージュ」によって、これを偉大なる作家、澁澤龍彦に対する「オマージュ」とさせていただき、この結語を締めくくらせていただくことにしよう。なお回文とは言っても、その辺の回文とは比較にならないほど長いものなので、著者に関する一部分を抄出するという形でしか見せられない。だから結局、見た目には回文になっていないのだが、全文は先の本を参照のこと。

  誰だ?鯨座(ケトス)の尾抱いた?
  澁澤龍彦。
  洞窟をくぐり高丘親王と
  ドラコニアの国へ旅だった。

 

§参考文献


○ 主要参考文献

『大理石』/アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(人文書院)
『新装版現代詩読本・瀧口修造』(河出書房新社)
『ユリイカ・特集−澁澤龍彦 ユートピアの精神(一九七五年九月号)』(青土社)
『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』/澁澤龍彦(立風書房)
『澁澤龍彦全集・第二十二巻、同別巻第一巻』(河出書房新社)
『仙界とポルノグラフィ』/中野美代子(河出書房新社)
『澁澤龍彦を語る』/澁澤龍彦全集編集委員会(河出書房新社)
『シュルレアリスムとは何か』/巖谷國士(メタローグ)
『類推の山』/ルネ・ドーマル(河出書房新社)
『狐のだんぶくろ』/澁澤龍彦(河出書房新社)


○ 周辺参考文献

『悲劇の誕生』/ニーチェ(岩波書店)
『ポオ小説全集2』/エドガー・アラン・ポオ(東京創元社)
『超男性』/アルフレッド・ジャリ(白水社)
『サド裁判(上・下)』(現代思潮社)
『別冊新評・澁澤龍彦の世界』(新評社)
『ファントマ』/ピエール・スーヴェストル、マルセル・アラン共著(コーベブックス)
『雄気堂々(上・下)』/城山三郎(新潮社)
『國文學・澁澤龍彦 幻想のミソロジー(昭和六十二年七月号)』(學燈社)
『ユリイカ臨時増刊・澁澤龍彦』(青土社)
『別冊幻想文学・澁澤龍彦スペシャル?T・?U』(幻想文学出版局)
『大胯びらき』/ジャン・コクトー(福武書店)
『澁澤龍彦考』/巖谷國士(河出書房新社)
『太陽(一九九一年四月号)、同(一九九二年十二月号)』(平凡社)
『新文芸読本・澁澤龍彦』(河出書房新社)
『新潮日本文学アルバム・澁澤龍彦』(新潮社)
『澁澤龍彦をもとめて』(美術出版社)
※ (上記の豪華保存版)『澁澤龍彦・夢の博物館』(美術出版社)
『逸脱の論理』/高橋和己(河出書房新社)
『アヴァンギャルド芸術』/花田清輝(講談社)
『おにいちゃん――回想の澁澤龍彦』/矢川澄子(筑摩書房)
『澁澤龍彦の少年世界』/澁澤幸子(集英社)
『澁澤龍彦事典』(平凡社)
『回想の澁澤龍彦』/澁澤龍彦全集編集委員会(河出書房新社)
『永久機関』/パウル・シェーアバルト(作品社)
『ダ・ヴィンチ解体全書2』(リクルート)
『幻想文学50・特集澁澤龍彦1987−1997』(幻想文学企画室)

○ 辞書

『大辞林・第二版』/松村明・編(三省堂)

(1998年、1月14日、chappy.)



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