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ついに出ました!ブリティッシュ・(ハード)ロック史上最高にかっこいいバンド!ハードロックギターの神様、リッチー・ブラックモアが在籍した超人気バンド、ディープ・パープルのご紹介です。一応は「BURN」のレビューということになってますが、アルバムを選びきれなかっただけなので、とりあえず全体的なレビューということで……(なんじゃそれ)。
以前、クィーンのレビューのときにも話しましたが、「ブリティッシュ・インヴェージョン」以降、ロック3大ギタリストやジミ・ヘンドリックス、デヴィッド・ボウイなどがブレイクする中、イギリスで起こった新しいハードロック・ムーヴメントにより、もはやブリティッシュ・ロックこそが世界最高の音楽であることを世界中の誰もが認めざるを得なくなった60年代後半から70年代初頭のハードロック・ブームにおいて、イアン・ギラン(vo,)や、レッドツェッペリンのロバート・プラント(Vo.)など、いわゆる「シャウト」系のハードロック音楽が全盛を醸していたのであった。
僕が中学1年のとき、今と同じようにJ-POPが流行っていたが、同じクラスに居合わせたビートルズ狂の友人から初めて洋楽を紹介され、洋楽の雰囲気に少しづつ親しむ基盤が形成されていった。そして中学2年になると、親友Kと出会うことになるのだった。彼の家へ遊びに行くと、中学2年の割には多量のCDがラックに収められてあったことを思い出す。
「洋楽聴いたことある?」と聞かれ、まだあまりないことを伝えると、彼はディープパープルの「マシン・ヘッド」をプレーヤーにかけてくれた。1曲目の「HIGHWAY
STAR」が流れた瞬間、僕は硬直したまま聴き入ってしまった。全く初めて聴く洋楽の雰囲気に酔った。マシンガンのようなギターソロが始まると、これがウワサに聞いてたリッチー・ブラックモアのプレイなのか?とさらに聴き入った。「HIGHWAY
STAR」の名に負けないスピーディーでノリノリの曲調に、日本の既成音楽にはない何かを感じさせた。続いて彼は、「SMOKE
ON THE WATER」をかけてくれた。この曲は、デイヴ・ロジャースや東京パフォーマンスドールもカバーし、ユーロビート界やアイドル界でも有名になる曲で、スタンダード中のスタンダードの曲であった。
それからの僕は、レコード屋に行った際、洋楽の棚もチェックするようになった。中学3年に上がり、ギターを買って弾くようになると、周囲の友人の中にも洋楽を聴いていた者がいっぱいいることを知り情報交換に勤しんだ。中でも速弾き系の曲が流行っており、イングヴェイ・マルムスティーンやアルカトラズの曲を紹介された。でも文化祭に出場しようとしたときの僕らの選曲はBOOWYだけなのでしたが……。その年90年にはスティーブ・ヴァイが、名作「Passion
and Warfare」を発表し、ギターを弾いてた友人間で大ブレイクしました。また91年には、NIRVANAが「NEVERMIND」を発表し大ブレイク。その頃、学校内ではガンズ&ローゼスなどが流行り始めていた――。僕もそれに合わせるかのようにCDを次々に買い込むようになっていった。
高校1年のときには、新宿石橋楽器内にあったヤマハ・ポピュラー・ミュージックというスクールに通い始め、発表会のときには、先の「SMOKE
ON THE WATER」やリンドバーグの曲を演奏した。その際ボーカルを務めてくれた人が、後に大学の学園祭でお世話になることになる、某音響機材レンタル会社の社長だったのだから、世の中おもしろいものだ。また、そのスクールでは「講師演奏」のライブイベントがあり、僕の師匠の「HIGHWAY
STAR」や、他の講師がギブソンの黒いオールドギターをワイルドにかき鳴らした、シカゴの「長い夜」などで楽しんだ思い出がある。「バンドやろうぜ」等の雑誌で知り合った人たちと、外のスタジオでいきなり合わせるときも、「SMOKE
ON THE WATER」などであれば皆弾けた。
また、リッチー・ブラックモアがディープパープル脱退後に結成したレインボーも同じように学校内で大ブレイクしたものだった。それまでの中世&プログレチックな曲調とはうってかわってポップなサウンドになってしまったが、リッチーの手癖というか、ギタープレイは健在であった。「SINCE
YOU BEEN GONE」などは(クリス・)インペリテリがカバーすることになる。高校1年のときに池袋で開催された「楽器フェア」という楽器や機材の展示会に親友Kと行ってみた。同じバンドでドラムを任せていた彼とはその年の夏に一緒に神津島に遊びに行くことになるのだが、勤勉な彼はそのときも太腿に巻きつけるタイプのゴムパッドでドラミングを練習していた。神津島に向かうフェリーの甲板の上で僕もドラムを習った(笑)。当時彼が影響を受けていた菅沼孝三(後にレビュる予定)の教則ビデオで習ったと思われるメカニカルなトレーニングをひたすら続けていた。彼の練習の合間に、「これがダブルストロークで、こうやるとロールになるよね。3連符だとこれで、2拍3連だとこんな感じ。ラフとフラムの違いはこれで、パラディドルってのはこんな感じで、モザンビークってリズムはこれ――」など、ちょっとした船上スクール開校気分だった。ここでの経験が、後に大学のサークル時代に生かされる!合宿時、深夜練習に励む後輩の入っていたスタジオに遊びに行くと、ドラム担当が寝てしまったとのことでドラム抜きでやっていて、僕に叩けというではありませんか!ドラムは非常に苦手でほとんど叩けなかったが、基本の8ビートと適当に入れた下手クソなアドリブで、なんとかモトリー・クルーの曲を叩きました。かなり妖しいプレイでした(笑)。
その頃巷ではXのYOSHIKIなどがプレイしていたが、バスドラムを両足で叩くツーバスのプレイが音楽シーンを席巻していた。親友Kもまた、後日亡くなってしまうコージー・パウエル流れでレインボーを聴いていたので、その楽器フェアではいろいろリクエストして叩いてもらった。学校帰りだったので学ラン姿だったが、それが逆に目立った。その頃は僕もYOSHIKIが使っていたタムで、胴部分の厚さが妙に薄い、いわゆる「ロートタム」の音が好きだったのでKにも買うように勧めたが、それだったら電子ドラムを買っちゃった方が早いということで、電子ドラムのコーナーに行った。そこで、様々な音色に変化させながら、レインボーの曲の中で僕の好きだった「LOST
IN HOLLYWOOD」や「STARGAZER」のイントロ部分を叩いてもらった。当時にしては結構上手い方だったと思し、何より学ランだったこともあって周囲から少し注目を浴びた。
その後もディープパープルの曲に関しては、「BURN」や「BLACK NIGHT」などをコピーしたものだった。高校1年の春に行った1stライブにKは参加しなかったが、他のドラムの友人Yなどとともに吉祥寺のライブハウス「ZeN」に出場した。練習でスタジオに入ったときも、リッチーに感化されてた僕は「付け胸毛」の作成も本気で考えていたほどだった(爆)。そこでレインボーの曲を演ることになったが、周囲の友人たちからは、「KILL
THE KING」よりも「I SURRENDER」の方がリクエストが圧倒的に多かったのでそちらを演ることにした。「SMOKE
ON THE WATER」も大分慣れてきていた。
高校3年の卒業ライブで再びKと演奏することになるが(その間、高校2年の外ライブ、高校3年の文化祭でも一緒にやっているが)、僕がどうしても演りたいといった曲が、ディープパープルの「BURN」に収められた5曲目の「YOU
FOOL NO ONE」という曲だった。これには久し振りに2人の中で大盛り上がり、他のメンバーも大賛成のうちに決まり、Kとベース担当者の間で、この曲中にソロ回しを入れてメンバー紹介をするアレンジを施すことになった。この曲はメチャクチャかっこいいです。Kがこの曲の演奏中に度々入れる休符の際、自前のシンバルを手で押さえてミュートするたび、ジルジャン(
http://www.y-m-t.co.jp/zildjian/
)の黒いロゴがくっきり浮き出すのが確認出来た。このライブでベースを担当してくれた人はKの知り合いで1コ上の人だった。実はこの人、メインで弾くのはベースではなくギターだったのでした。しかもロック系を弾かせたらかなり上手い人で、正直僕がギターを弾くのは恥ずかしいほどであった。
高校2年のとき、Kが文化祭に出ない理由はそれだったのかもしれない。彼とのライブが忙しかったのだろう(僕ともライブ出てるし、他もヘルパーで出ていたかもしれない)。そのライブに僕も足を運んだ。そこで僕の見たものは――?
選曲はまさに王道系ロックが主体だった(と思う)。キング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者(21st CENTURY
SCHIZOID
MAN including MIRRORS)」でのギターソロやキメ部分、ジャズっぽい?ドラムソロなどすさまじい迫力の演奏だった。ブラック・サバスの「SNOW
BLIND」では途中から3連になる部分などこれもまたすごい迫力。また途中から突然4ビートに転じるロニー・ジョーダンの曲も口を開けたまま見入ってしまった。そこでもディープパープルの曲を演奏していた。「FIREBALL」と「SPEED
KING」であった。イントロで一発で分かった。まさに「やられた!」という感じでした。この曲「FIREBALL」、普通に聴いててもメチャクチャかっこいいのだが、ライブで演るとこんなにもかっこいいものなのか……。という心境でした。その他の曲目にもよるのだろうが、やはりディープ・パープルのリーダーで、Keyを担当するジョン・ロードの曲ということで、プログレ風の曲調が多かったので、サバトでも行われるかのような雰囲気を醸し出した妖しいライブでした(笑)。ディープ・パープルをコピーする真の醍醐味は実は「FIREBALL」や「SPEED
KING」のコピーとかにあるのではないか?と思いました。
これらのことを踏まえると、ディープパープル最盛期と言われた第二期編成(「マシン・ヘッド」など)時代以前の方が、よりパープルらしい曲調というか、熱い曲が多かったように思います。もちろん第三期の、走り気味のイアン・ペイスのドラムがメチャクチャかっこいい、「BURN」に収められた同名曲や先の「YOU
FOOL NO ONE」は名曲中の名曲ですが……。
リッチー・ブラックモアによって確立され、ブラック・サバスのトニー・アイオミなどのメインのプレイスタイルとなったパワーコード、すなわちルート音(幹音)と5度の音のみを押さえるコードはレインボー時代にも多用されていて、他の速弾きソロや、ブルージーで中世的なソロなどと合わせて、僕の音楽の趣味の根深い部分に収まってしまっている感じがします。このことは、僕が生まれて初めて影響を受けた洋楽のロックだということもありましょうが、かなり思い入れのあるバンドです。
今ではどこのレコード屋でも安価で買えるし、持ってる人も多い筈なので、是非皆様も改めて、これらディープ・パープルやレインボーの曲を聴いてみてください。感動がよみがえることうけあいです。
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